絵のぼり「鯉の滝のぼり登竜門」

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「端午の節句」の飾りの主役といえば鯉のぼりではありませんでした。
主役は、幟(のぼり)。旗のようなものです。
鯉のぼりは、江戸中期に町人によって生み出されました。
絵のぼりに「鯉の滝のぼり登竜門」という定番図柄があります。
それを立体におこし、絵のぼりの小さな付属品としたのが、鯉のぼりの始まりなのです。
やがて大型になり発展しました。

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朱鍾馗図座敷幟 狩野永信
描かれている真っ赤な人物は「鍾馗(読み:しょうき)様」という神様で、魔除け・疱瘡除けのパワーを持つとされました。

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昇鯉登竜門図
掛け軸 森山観月作

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昇鯉登竜門図
節句用タペストリー

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いわき絵のぼり

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山本昇雲画「子供遊び」(明治39年・1906年)
屋内に飾られるようになった武者幟のいろいろ

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昭和時代の初頭の座敷飾りの様子



「鯉の滝のぼり登竜門」の登竜門の語源
「登竜門」 とは, 〈成功とか出世の糸口をつかむ〉 ことです。糸口をつかんだ人がみんな成功したり出世したりするわけではありません。
実在するのは 「竜門」 という地名です。
「竜門」 は,中国の黄河の上流にある急流の難所の名前です。その流れの強さは 〈まるで滝のようだ〉 と言われるくらいに激しく,その竜門の下に大魚がたくさん群て集まってきても,この急流をのぼり切ることはなかなかできません。この急流をやっとのことでのぼり切った魚は,たちまちに化して竜になるという伝説があるのです。
この話は 「鯉の滝登り」 という言い方で伝えられてきましたが,実は上の話の大魚が鯉だというのは,この話が日本に伝わってきてからのことで,この大魚のもともとの正体はチョウザメだったらしいのです。
チョウザメにしろ鯉にしろ,それが 〈竜門を登って〉 竜になれることを, 「立身出世」 の象徴とみて 「登竜門」 と言うようになったというわけです。

それだと 「登竜門」 はもう立派に立身出世を果たしたことになります。
上に書いた 「登竜門」 は 〈立身出世の糸口をつかむ〉 こととは違ってしまいます。
そこで,この話にはもう一つの話を考える必要があります。

後漢の時代,天子がまだ幼少だった頃に,その外戚 (母方の親戚) や宦官 (王侯の側近) が,横暴を極めて政府の実権を握っていました。
正義派の官僚もいたのですが,さまざまな弾圧を受けて苦しんでいました。
そんな中,李元礼 (りげんれい) という高潔な役人が現れて,外戚や宦官たちの悪政と戦いました。
ほかの正義派の官僚たちはそんな李元礼を尊敬し慕うようになります。
やがて,李元礼は日本でいう警視総監のような地位にまでつくようになりました。
多くの若い知識層の青年が彼の下に集まるようになり,李元礼の知遇を得ることを名誉としました。
つまり,李元礼の知遇を得て,仕事に就く上での推薦状を貰えれば,自分も出世の糸口がつかめると思うようになったのです。

それを,上に書いた 「鯉の滝のぼり」 の伝説とからめて 「登竜門」 というようになったといわわけです。
その後,このことばは,高等官吏登用試験に合格することや,有名大学の入学試験に合格するなどの難関を突破することにも使われるようになりました。

しかし,それらの試験に合格したとしても,その後の努力を怠ったりしていては,やはり出世はできません。そういう意味で, 「登竜門」 はあくまで 〈出世の糸口〉 なのです。


5 月の端午の節句に飾る 「鯉のぼり」 も,上の 「鯉の滝登り」 にあやかって,子どもの将来の立身出世を願う親心のあらわれの意味があることはありますが, 「鯉のぼり」 ということばの 「のぼり」 は 「登り」 ではありません。
「鯉のぼり」 は 「鯉幟」 なのです。
「幟 (のぼり) 」 は,旗の一種で,縦長のものです。
戦国時代の武田信玄が掲げた 「風林火山」 の旗が代表的なものでしょうか。その他,大相撲や大売り出しの幟などいろいろあります。


日本の鯉のぼり(YouTube)

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