古~い鯉のぼりの写真

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江戸末期から昭和の戦後までの「鯉のぼり」の写真を集めてみました。
「端午の節句」として始まった「鯉のぼり」の歴史は江戸末期からで、そんなに古いものでなかった。まだ、カメラが貴重な時代でしたので撮影された記録も少ないものでした。

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江戸末期・明治初期の写真
幕末から明治初期にかけて生きた日本の人々のモノクロ写真に、絵師が色を付けたものだ。

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明治維新後、開国とともにやってきた外国人たち。彼らは帰国の際、日本の風景、人々を描いた写真を買い求めた。外国人たちが持ち帰った写真たちが、ハーバード大学図書館のコレクションとして収蔵されている

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明治時代の横浜の絵葉書
川沿いの家並に鯉のぼりが揚げられている、清清しい一枚。
明治時代は真鯉と緋鯉の二色が主流だったようです。

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こいのぼり(こどもの日)「江波信國」氏が撮影
明治時代の中期~後期(1890年代~1910年頃)に撮影された。
カラーの写真は、白黒写真に後から着色した写真です。

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Elstner Hilton
Koinobori Kodomo no hi 子供の日 
1914年(大正3年)から1918年(大正7年)
米インディアナ州インディアナポリスにあるAtkins Saw Companyで製材機械の営業マンとしてアジア各国を飛び回っていたという
Hilton氏が撮影。

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明治時代中期の「鯉のぼりと民家」

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明治20年頃 長崎

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絵葉書
団扇の暦 鯉のぼり日の丸美人 明治38年
絵葉書資料館

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絵葉書
手彩色絵葉書に見る季節の風景 端午の節句 こいのぼり
横浜、吉濱町通り。右手にお蕎麦屋さんがあります

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絵葉書
手彩色絵葉書に見る季節の風景 端午の節句 こいのぼり
谷戸坂から見下ろした光景です。こいのぼりが見えます。
坂を下った先に見える三角屋根がヘボン博士邸です。
ヘボン式ローマ字で有名ですが、日本の近代化に多大な貢献をされた方です。

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明治の横浜手彩色写真絵葉書

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マッチラベル明治大正期 JAPAN 鯉のぼり  頂上火柴

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小島街道沿いの現上小島2丁目あたりから見た「鯉のぼり」風景と思われる。背景の右側から写っているのは、金比羅山の尾根で、立山の谷間や筑後町方面の寺が確認できる。

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長崎市上小島1丁目の高台から愛宕山方向を撮影しているのではないか。東小島公園から長崎女子高等学校へ向う狭い車道がある。学校正門の少し手前あたりからなら、愛宕山のなだらかな西稜線の奥に、英彦山(標高385.6m)?の山頂がこのようにわずかに覗く。

上の2点は大正11年頃のガラス写真です
「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」
「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた。

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鯉のぼり~ハワイの日系移民(大正13年)
ハワイの日系移民が最初の世代(1868年の「元年者」)から二世・三世の世代に

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絵葉書
Boys Festival at Yokohama

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1尾だけの鯉のぼり
昭和32年(1956年)

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ルネ・ブリ
日本。1961年

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林田町の林田大庄屋 旧三木家住宅へ”林田端午の節句展 五月人形と武者のぼり”
江戸時代には 我が子の立身出世を願い 庭に建てられた 「武者のぼり」。 明治・大正以降は
時代の流れとともに 鯉のぼりが 主流となりました。 武者のぼりは 鯉のぼりの原型ともいわれています。
兵庫県指定重要有形文化財
林田大庄屋旧三木家住宅は、天正8年(1580)、羽柴秀吉の播磨侵攻により英賀城が落城、その時の城主 三木通秋(天正11年没)の弟 定通が林田村に住み林田村構の三木家の祖となり、江戸時代を通じて大庄屋を務めました。
建物の建築年代は江戸時代初期と推定され、大庄屋の建築としては県下で年代が推定できる最古の遺構です。

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埼玉県嵐山地域
 1963年(昭和38)5月20日

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